ぼくたちは母さんを車イスにのせて、病院のうら庭を歩いていた。
十二月のさすような北風が、ヒュッと音を立てて耳元をすりぬけていった。
お医者さんは、もっとあたたかい日にと言ったけど、母さんが行きたいと言ってきかなかったから。
「病室じゃ、雪の北尾山が見えないんだもの」
ポツンと言った。
そのとき、前を行く弟が大きな声を出した。
「わあ、何これ」
足元を白いわた毛がかたまって、ふわふわところがりながら風にはこばれていた。
弟は追いかけて行って、両手にわた毛を持つと、
「見て見て、雲のたね」
はしゃいで言った。
「おもしろいことを言うなあ」
父さんが答えた。
母さんは、かけてきた弟からそれを受けとった。
「ほんとね。もし天国に行ったら、この雲のたねにのって会いに来てね」
ぼくはドキッとした。
「おいおい、変なこと言うなよ。これはガガイモっていうただの草のたねなんだ」
父さんは言ったけど、ぼくはそのときうすうす感じていた。
弟はわた毛をひろい集めてポケットに入れていた。
ふた月たって、ようやくやわらかい風が吹くころになっても、母さんは入院したままだった。
おみまいに行くと、弟はすぐ母さんのふとんにもぐりこんだ。
「おい、母さんは病気なんだぞ」
ぼくが言うと、弟は〝ふん〟と母さんのむねに顔をうずめた。
「おい！」
強く言ったとき、母さんの細い声がきこえた。
「いいよ。よかったら、お前もおいで」
母さんはあいているうでを広げた。そでの下からやせ細った母さんのうでが見える。
「いい」
ぼくは目をそらした。
「ごめんね。ランドセル、えらんであげたかったな」
母さんは弟の頭をなでた。
「たかしの学生服も」
やさしい目をして、ぼくを見た。
「うん」と答えるのがせいいっぱいだった。
三月、やけにあたたかい南風が吹いた日、母さんは死んだ。
新学期がきて、ぼくは中学生になつた。
やりたかった部活には入らなかった。弟がいるから。放課後、児童館にむかえに行って家に帰る毎日だった。
そのうち、弟が庭のすみでうずくまっていることが多いのに気がついた。
そんなある日、勉強していたぼくの所に弟がとんできた。
「兄ちゃん兄ちゃん、大変。来て」
ぼくのうでをつかんで引っぱった。
「何だよ、勉強中だぞ」
いつもそうだ。相手のことなんてちっとも考えない。自分勝手なんだから……。
弟は庭のすみにつれていった。
「あ……」
そこにはつんつんとがった一センチぐらいの芽が、ぞくぞくと出ていた。
「雲のたね」
え？……あれ持ってきて、まいたのか。
「これぐらいあればのれるよね」
弟の声ははずんでいる。
〝キント雲じゃあるまいし〟
出かかった言葉をのみこんで、ぼくは部屋にもどった。
それからも弟は細長い葉っぱが開いたと言ってはぼくをよび、つるがからんだと言ってはぼくの手をとった。
小さな花が咲いたと言っては手をたたき、ミツバチが来ていると言っては、口びるに人さし指を当てながら、しのび足でぼくを引っぱり出した。
あんまりうれしそうで、ぼくはほんとうのことを言えなかった。
暑い夏がすぎ、さわやかなすず風がほほをなでるころになった。
弟は目をまん丸にして、ぼくの所に来た。
「兄ちゃん、たね。たねがついてる」
ぼくは急ぎ足で弟のあとについて行った。
からみついたコスモスの葉かげに、おや指くらいの、ごつごつしてとんがった実がついていた。
「兄ちゃん、いつごろ雲のたねになるかな」
ぼくは言葉をなくした。
そんなぼくに弟はさいそくした。
「ねえ兄ちゃん。兄ちゃん」
追いたてられて、ぼくははじかれたように言った。
「あのな、これは草のたねなんだ！ 父さん言ってただろ。
いくらこれを集めたって、お母さんの所に行けるわけじゃない。お母さんにはもう会えない。死んじゃ……」
はっとした。
ほんとうはぼくに言ってる。自分に言いきかせてる。
びっくりして何も言えなくなったぼくに、弟はもうぜんと言い返してきた。
「わかってるよ兄ちゃん！ ……ぼくだってわかってる」
なみだをいっぱいにためた目で、ぼくをじっと見つめた。
〝そうか、わかってたのか……〟
思わずぼくは弟をぎゅうっとだきよせた。
ぼくのむねに顔をうずめた弟。ふるえが伝わってくる。
〝ぼくだっておまえと同じだ〟
そう思ったとき、何ともいえないぬくもりも伝わってきた。
なみだがこぼれそうになって空を見上げたぼくの目に、のん気な風に流されている、ひとかけらのまっ白な雲が映った。
（おわり）
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